ブルー・ナ・ボーニャ ボイン渓谷の遺跡群


ブルー・ナ・ボーニャは、アイルランドのボイン川の屈曲部にある新石器時代の石室墳、立石、その他の先史的遺跡群の複合体です。
時代が下り鉄器時代には墓地として使われ、中世にはノルマン人が入植しました。
一帯はしばしばボイン渓谷と呼ばれ、ブルー・ナ・ボーニャ自体を指してそう呼ばれることもありますが、正確ではありません。
面積は780ha、史跡の大部分は川の北側に集中しています。ブルー・ナ・ボーニャで最も著名な遺跡は、「ニューグレンジ」、「ノウス」、「ドウス」の3つの墳墓です。
これら3つの主要遺跡は天文考古学上重要な意味を持っていて、ニューグレンジとドウスは冬至の太陽に対応し、ノウスは春分の太陽に対応しています。
隣接するその他の遺跡についても対応関係がないか検討中で、ブルー・ナ・ボーニャのレイアウトやデザインについても天文学的意味について検討がなされています。
1,993年に下記の登録基準を満たしているとしてユネスコ世界遺産へ登録されました。
(i)人間の創造的才能を表す傑作である。
(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(iv)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
シュケリッグ・ヴィヒル


アイルランド島の西方の沖合16kmに位置する岩山の孤島です。
西暦588年、島の山頂付近にケルト人の手によって修道院が建てられた説がありますが、確かな記録はありません。
修道院は現在に至るまでよく原型をとどめていて、アイルランドにおける初期のキリスト教の僧侶たちは、垂直に切り立った崖の下に石積みの小屋を建てて暮らしていました。
823年のヴァイキングの襲来にも耐え、1,000年頃には拡張(遅くとも1,044年には聖ミカエルを祀る修道院になったとみなされています。)されましたが、その後100年程で施設は放棄され、島は無人となりました。
西暦1,500年頃になると、海の穏やかな時期に巡礼が行われるようになりました。
1,996年、下記の登録基準を満たしているとしてユネスコ世界遺産へと登録されました。
(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(iv)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
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